【19世紀という激動を駆け抜けた統計学者】
小玉香津子氏によって書かれたナイチンゲールの生涯。世間が思っている天使のイメージもありつつも、実際のフロレンスの人間性や彼女を取り巻く環境を平易な文章でより鮮明に生々しく映し出している。
本の紹介
こんにちは、パパdeナースです。
今年で看護師歴7年目。
ナイチンゲールは大学で「看護覚え書き」についてのレポートを書いたくらいでした。
この本を読むきっかけはこの年数になり自分が看護師として今後のキャリアについてぼーっと悩んでいた時に、そういえば看護師の歴史ってどんななんだっけ、と興味がでてきたからでした。
悩むこととはつまり、自分はどうしたらいいかという軸がぶれているからであり、その軸をもう一度見直す機会だったのかもしれません。
この本はたまたま手に取りました。
読みました。
震えました。
フロレンスの看護に対する情熱が本からめらめら湧いてくるようでした。
彼女の自分の信念を貫く強さ、それを支える絶対的な努力さに心を打たれました。
看護学生は是非一度読んでほしい。
ぼくみたいに日々の業務に疲弊し、自分の看護とは何か、迷ってしまった方にも。
おすすめです。
この本でビビッときた文章とそれについてのつぶやき
- 生涯で計4回‘声’聞いた(p26)
- →1837年2月7日(当時16歳)神は私に語りかられ、神に仕えよと命じられた、と書かれている。
- 「神のしもべにふさわしい人間になるために乗り越えなければならない第一の誘惑は‘社交界で輝き渡りたい’という誘惑である」(p38)
→看護を勉強するのにさしさわるものすべてに拒絶する様は本当に鬼気迫るものがある。そのために結婚もせず独身を貫いた。
- 看護をするということは、「あなたも行って(よきサマリア人と)同じようにしなさい」、という御言葉にまぎれもなく従うことだった。心を尽くしてキリストとの合一を得るように努めよう、達成目的はそこにあるとひらめいたのである。(p45)
- その生き方は神を愛するとともに‘隣り人’を愛し、苦しんでいる者がいたら向こう側を通ることはせず、そばにいって力になるというものだった。(p46)
- キリストの示唆に「病人を見舞い」とあったことから、キリスト教の世界に、家内の仕事ではない組織的な事業としての看護が、教会を拠り所にはじまった。(p46)
→フロレンスとキリスト教は切っても切れないものである。
- 貧しい病人の看護するなら病院へ行くことだ。病院は貧しい病人のいわば収容所になっていた。(p46)
→当時、お金持ちは医者を家に招いて療養していた。
- 「フローレンス=ナイチンゲールは背の高い、姿勢のよい、ほっそりした人です。短か目の、たっぷりした栗色の髪、透きとおるような肌、灰色の瞳。その瞳は想い深げに伏し目がちです。しかしその目が快活に輝くとき、彼女のように楽しげな面持を私は見たことがありません。・・・黒い絹の服の衿が細い白い喉もとを覆い、黒いショールを肩に掛けているその様子。・・・それは聖女を思わせる姿です。」(p51)
→シャーロット=ブロンテの伝記を書いた作家のギャスケル夫人が24歳であったフロレンスを上記のように描写した。
- 社会の底辺にいる女性が生活のためにわずかな賃金を得ようとして就く仕事だった。(p49)
→当時は卑しい仕事であり、上流階級であったフロレンスの家族は彼女の行動、言動にひどく嫌悪感を露にしたことがところどころに書かれている。
- 病院や衛生に関する公私の報告書の類を読み、ノートをとり、索引をつくる、これが勉強の中心だった。(p59)
→フロレンスは統計学者である。公衆衛生についての統計の本を多く書いた。
- 重症な患者には、彼女は必ず付き添い、最期は彼女がほとんど看取った。患者を一人では死なせないと心に決めていたのである。(p156)
→彼女の患者へのひたむきな愛を感じ取れる。
- ・・・(中略)そのような看護は、病人一人一人の経過中の変化を丹念に見る、すなわち、その人の生きていく様子のすべてを見守ると言ってよいほどだから、看護の働きは決して断片的にはなり得ない。これが病気の最終的な変化、回復とか後遺症とか、あるいは死とかを見るとなると、えてして断片的になりやすい。非人間的な医療を避けるためには、断片的になりようがない看護の存在が不可欠である。(p211)
→フロレンスの看護についての考察を著者が独自に解釈している。著者の看護に対する患者への熱い想いと誠意が感じられる。
- 「およそ看護の最終目標は、病人を彼ら自身の家で看護することだというのが私の意見です。私はすべての病院と施療院が廃止されることを期待しています。」(p218)
→いま現在進行形で進んでいる。この先見性はすごい。
- 「この世の中に看護ほど・・・自分自身は決して感じたことのない他人の感情のただ中へ自己を投入する能力を、これほど必要とする仕事はほかに存在しない。」(p224)
→ほんとにこれが看護のおもしろさであり、むずかしさなんだよね。
- 「結局のところ、本質的に、看護ケアの質はそれを行なう人間の質によって決まる」(p238)
→自分の仕事に対し今まで以上に取り込もうと決意しました。
- 「これ以上に有益かつ感動的な人生があっただろうか」(p246)
→フロレンスが亡くなったあとに1910年8月15日付の「ニューヨークタイムス」に掲載された一文
今日からできる小さなステップ
- 仕事でなにか看護ケアに迷った時にこんな時は彼女だったらどう感じるだろうか、と思い浮かべてみる。
1行のまとめ
この本は私たちに‘自分の信念を貫く者の美しさ’を伝えてくれる