Welocome to
Operating Room

書評:010冊『ケアを問いなおす』広井良典(1997) 

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

看護師である自分が普段している看護ケアの“ケア”ってそもそも何だっけ?そんな疑問に応えてくれる、広井良典氏によって書かれた『ケアを問いなおす』ケアという言葉をあらゆる角度から捉えて私たちに説いてくれます。

本の紹介文

どーも、パパdeナースです。

入職してからずっとオペ室で早7年。

ここ数年やっとこさ仕事に余裕をもつことができるようになってきました。

初めは希望ではない部署で(外科病棟希望でした)絶対続かないだろうと思っていましたが

来年まではちょっとがんばろうとのらりくらりと働いていたら

いつの間にか中堅のおっさんナースになってました。

日々の業務はある程度予想がつくことができるようになったり、

それなりに後輩指導をしたりしている今日この頃です。

ただ、その日々の業務が自分ではルーティンになっている感覚がとても強くありまして、

「この患者にとって自分はいい看護が提供できたかな、、、」

と思うことが増えてきました。

そもそも自分のしている看護ケアの“ケア”って一体なんだっけ?

と疑問がでてきました。

ちまたであふれてますよね。

ぼくにとってはなんか万能すぎてほぼ指示語みたいな感覚です。

(「ねえねえあれっとってよ。あれだって」の“あれ”です。)

そんな中、探して見つけたのが今回の『ケアを問いなおす』という本になります。

読んで思ったのが、やっぱり“ケア”って言葉は広いってことです。

ケアとは限定的に言うと「看護」や「介護」という意味で使われます(これはぼくら医療従事者がしていることです)がもっと広くは「配慮」「関心」「気遣い」という概念、があるそうです。

著者は“ケア”と“時間”についてとても密接な関係があることを説いています。

“ケア”とは相手に対して時間をあげる、時間を割くことであると。

つまりは“ケアをする人”と“ケアをされる人”が存在した時点でそれは“ケア”であることを意味しています。

人間関係の営み、すべてが“ケア”という解釈です。

なかなか壮大です。やばいです。

この壮大な“ケア”について色々な角度から焦点(死、高齢者、制度、科学など)を当てて論じています。

とても興味深いです。そして哲学的でもあります。

もあっとして霧みたいな感じのイメージであった“ケア”が

実は宇宙のように深く広く際限ないものであるイメージに変わりました。

(結局わからないことに変わりはないけど奥深いということはわかったよ、おそらくね。)

やや古い本であり、社会保障などの部分はその当時のものでありますがそれを差し引いても今読んでも色褪せていません。

ぜひおすすめします。

この本でビビッときた文章

・—ケアとはその相手に「時間をあげる」こと、と言ってもよいような面を持っている。(p8)

・このように、「ケア」という言葉は、①狭くは「看護」や「介護」、②中間的なものとして「世話」といった語義があり、③もっともひろくは「配慮」「関心」「気遣い」というきわめて広範な意味をもつ概念である。(p10)

・「私」がまずあってケアがあるのではなく、人間は「ケア」の関係のなかでひとりの「個」となる。「私」が「私」であることを、ケアが支えている。ここにケア論のもっとも基本的な出発点がある、といえるのではなかろうか。(p37)

・重要なのは、「正しいターミナルケア」のあり方をひとつに確定することではなく(そのようなことはそもそも不可能と思われる)、それは個人の判断に委ねた上で、むしろ様々な「選択」の幅を拡大すること、かつ、そうした選択の拡大が可能となるような、「政策的な支援」を行なうことである。(p93)

・筆者なりの理解では、結局ケアマネジメントという方法の根底にあるのは、

(a)効率的な資源の活用・・・限られた資源の中で、いかにそれらを有効に組み合せ活用してサービスの提供を図るか

(b)ニード中心主義・・・サービスからではなく、まずはいったんニードから出発する

という2つの考え方であるように思われる。そして、ここで重要なのは、(a)と(b)の要請は、当然しばしば緊張関係・対立関係に立つものであるが、実は、より大きなフレームで見ると、しばしば「同じ方向を向く」ことがありうる、ということではないかと思われる。(p130)

・—経済のなかで今後もっとも拡大が予測されている「ケア」という領域は、いわば「消費社会の最後に残された、最大の消費分野」としてとらえることができる。(p147)

・「経済における最大の成長分野としてのケア」という時代にあって、また、物質的欠乏や経済的理由が家族を結びつける大きな要因であった時代が終わった今、“最後に家族に残されるものは何か?”という問いを、新しく考えてみる必要があると思えるのである。(p151)

・—筆者は「ケアの科学」というものは必然的に「マージナル」な科学にならざるを得ない、と考えている。「マージナル」とは「境界的」であることであり、それはすなわち「越境的」、つまり境界を突破していくということである。ケアにあたっては、狭い分野や特定のモデルのみに閉じこもるのではなく、広く様々な領域を見わたし、それらを積極的にとり込み、また必要な調整、コーディネートを行なっていくことが必要になる。それは対象とする人間自体が様々なニーズをもつ存在である以上、避けられないものであろうと思われる。(p188)

・—ターミナルケアにおいて、家族であろうと何であろうが、死を「誰と」迎えるかということ、つまりそこでの「ケア」ということそのものに本質的な意味があるのは、その関係自体のもつ意味にとどまらず、それがいま述べている「深層の時間」への大きな通路のひとつでもあるからではないだろうか。(p208)

・その者の死は、ケアのひとつの終わりでありまたひとつの始まりなのである。なぜなら、私たちの生は深いところで死とつながり、死者へのケアは、私たちの生を根底において支えているのであって、私たちは生の深部にある「深層の時間」を死者たちと共有しているからである。そしておそらく、私たちがこれから迎える高齢者社会は、死や時間や老いの意味とともに、そうした「ケア」の新しい意味を問いなおす時期であると思えるのである。(p228)

今日からできる小さなステップ

自分がしている仕事のひとつの行為に担当の患者の顔を思い浮かべる。

1行まとめ

“ケア”とは人と人のかかわりのすべてである。

 

ABOUT ME
パパdeナース@オペ室
2013年入職よりずっとオペ室で看護師してます。メンズナースです。男の子の親でもあります。主に仕事や育児についての読書ブログ書いてます。
こちらの記事もおすすめ!

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です