双極性障害で作家・建築家・画家・音楽家である坂口氏が日常の風景を日記形式として映し出す。氏の精神状態(躁状態もしくは鬱状態)によって同じような日々の風景もまるで様変わり。ある双極性障害の人間の頭の中をのぞくことができる不思議な本である。
こんな人に読んでほしい
・双極性障害(躁うつ病とも言われる)の頭の中を知りたい人
・坂口恭平の創造力の源はどこにあるのかを知りたい人
・少し変わった家族の育児日記を読みたい人
本の紹介文
こんにちは、パパdeナースです。
緊急事態宣言もやや緩まり、コロナの影響も以前よりもだいぶ緩和されてきている印象がありますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
僕の職場でも手術件数は例年に比べ3割減くらいで維持しています。
この状態がより緩和されていくと今後は手術待機患者さんの対応に追われると考えられます。
今が一番時間がある時期なのかもしれません。
コロナの第2波が冬にも来るとの見方もあるので全く気が抜けません。
やっぱり今年の夏休みも引き続きステイホームなのかなー、辛すぎる!!
さて、今回は『坂口恭平の躁鬱日誌』という双極性障害の作家である氏の日誌をまとめた本を取り上げたいと思います。
そもそも双極性障害とはなんでしょうか。
調べてみますと、
“精神疾患の中でも気分障害と分類されている疾患のひとつです。うつ状態だけが起こる病気を「うつ病」といいますが、このうつ病とほとんど同じうつ状態に加え、うつ状態とは対極の躁状態も現れ、これらをくりかえす、慢性の病気です。”(厚生労働省より)
と書かれています。最近まで“躁うつ病”と言われていました。
また、双極性障害の中にもI型(うつ病に加え、激しい躁状態が起こる)とⅡ型(うつ病に加え、軽躁状態が起こる)があります。
氏はⅡ型(うつ病に加え、軽躁状態が起こる)にあたります。
この本は端的に言うと、坂口家(父親である氏、妻のフーさん、5歳のアオちゃん、3ヶ月の弦くんの4人)の日常が書かれたただの日誌です。
この「ただの日誌」というのが大事でありまして、物書きを生業にする氏の日常はだいたいこんな感じです。
「内実は、朝、自転車でアオを幼稚園まで送り、その後、少しだけ原稿仕事を行い、二時四五分になると再びアオを迎えにいき、家に帰ってからはアオと遊び、アオと弦をお風呂に入れているだけである。」(p281)
ところがどっこい!(表現が古いっ)
これが氏の躁状態、うつ状態というフィルターで見る(日誌を読む)とあら不思議!
躁状態の時であれば、その日常がより生き生きと描かれ、子どもたちの動作ひとつ一つに愛くるしさをも滲ます文面となっている反面、うつ状態では、自己否定のオンパレードとまさに“感情のジェットコースター”とも言えます。
氏の場合は躁状態が1ヶ月、うつ状態が1週間の感覚で繰り返すようです。(この本の日誌の期間中では)
ほんとに辛い病気であると思いました。
僕は大学受験に失敗したり、アルバイトや就活の面接に落ちたり、彼女に振られたり、国家試験に落ちたり、と月並みな失敗はしていますが
これが月に一回のペースできたらたまったもんじゃありません。
心がいくつあっても足りません。
この本を読んで双極性障害の人に出会うことがあれば今以上に気を遣おうと決心しました。
またなんと言っても、この本で興味深いのは妻のフーさんの存在だと感じます。
妻のフーさん、がいうには躁状態の氏とうつ状態の氏は別物であるとのこと。
そして、氏本人も別物である感覚があると。
フーさんは、その二人(実質ひとりなのだが)の手綱を上手にバランスよく引き締めているのが強く感じます。
氏も妻を、“謎の女、フー”と言っているくらいだし。
同じ時期のフーさんの日誌も掲載してみれたらもっとおもしろかったのかも、と感じました。(おそらく性格的に書かなそう、、、)
あとは、今3歳児の父親である自分としては
“朝から自転車でアオと幼稚園へ”
というフレーズが心に響くというか、大好きでした。
自転車に乗っているときの会話っていいんですよね。
一緒に歌をうたったり、今パトカーが通ったよー、とかの会話だったり。
こういうのが一番幸せなのかなと自分では思います。
今は常に「パパ、遊ぼーよ!」と言ってきて時々うんざりするのですが、こんな時期もすぐに過ぎてしまうのだろうなと思うとちょっぴり感傷的にもなるんですよね。
この本は、双極性障害という病状を知ることもできるし、一つの家族のあり方も知ることができて一度に2度楽しめる本です。
この本でビビッときた文章
・そんなのはどうでもいい。俺はただ生きる。それをただ見せる。(p34)
・車は風が吹かないから、車より自転車が好きだとアオは言う。(p40)
・僕は泣いた。ただ泣いた。子どもがたくさん元気にいるという空間は、なぜここまで豊かなのだろうか。子どもはたくさんで育てたいなあ。叶わぬ夢を描く。(p53)
・だいたい死にたいと思うときってのは、僕に関していえば、変化し新しい作品を見つけようともがいているときだと断定することができた。(p64)
・今、人間は人間のことを無視している。それが僕は嫌だと思っている。時間をつくる。暇でいる。いつも呼ばれてたら登場できるようにする。家族に何かがあったら瞬時に一緒に動けるようにする。これは僕の人間に対する興味からきている。人間がいちばん面白いよ、と僕は思う。(p70)
・躁の僕が書いた原稿を、鬱な僕が調整していく。このように躁鬱を症状として発生させてしまうのではなく、原稿執筆における態度・技術として忍ばせる。そうすると、いいガス抜きになり、かつ仕事も進むのではないかと思っている。しかし、そんな簡単にはいかないのが、この病気なのである。(p212)
・「とにかく希望を捨てないこと」(p257)
・躁と鬱。この二人がいる。それはなんとなくわかる。だからこそフーに言われるままに、僕は、躁の坂口恭平から鬱の坂口恭平へ向けて手紙を書いた。(p277)
・躁の坂口恭平と鬱の坂口恭平が結婚し、産まれた混血児、クレオール坂口恭平。クレオール坂口恭平が使う言語、それが僕に取手の創造という行為ということなのかもしれない。(p280)
今日からできる小さなステップ
気持ちが高揚したり、落ち込んだりした時には一度自分の気持ちを文章に吐き出してみる
1行まとめ
これ程までに双極性障害の人の頭の中をみえる(読める)のは痛快だ!
今日の息子くん
朝、腹部に激痛を感じて起床。
何事かと思ったらうちの3歳児がダイビングして僕の上にのっかてきた。
時計を見ると5時。 朝5時。早すぎる、寝かしてよ。
息子はニコニコしながら「起きてー朝だよー起きてー」としつこく体にまとわりついてくる。
最悪な目覚めだ。
息子本人は12時間も寝て目ぱっちり。
これってみんなそうなのかな、苦行です。
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