中動態という失われていった様式を求める。能動でもなく受動でもない。強制でもなければ自由でもない。そこに意志が持ち得ない不思議な態。そこからみえてくる歴史のあり方、人としての生き方による考察が示される。
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本の紹介
とても理解するのが難しかった本である。
『シリーズ ケアをひらく』ファンだから読んだというのが率直な感想だ。
それがなければ永遠に目に留まることはなかっただろう。
そもそも中動態という存在自体がとても不思議という意味がよくわからなかった。
それもそのはずで言葉を聞くことも初めてであり、時代の中で消されていった様式の一つであるのだから。
それを探っていく本である。
自分が意志で行うことは本当はそうせずにはいられない決まったものとして存在しているというするという。
100%強制ではないし、かといって100%自由でもない。
そこに人間の意志が存在しない
それがまさに中動態なのである。
それを考えると人間の思考とは理性とはなんであるのか。
それを感じずにはいられなかった。
本文で挙げられていた「カツアゲ問題」はとても興味深かった。
お金を出せと脅されて渋々相手に渡す行為は自分の意志ではないが行動的には自分である、という行為である。
この中動態の意味を知ることで自分の生き方、つまり完全である意志は本当に存在し得るのかという壁にぶつかった。
自由であることと強制であること。
すべての行為は自由と強制の割合がどのくらい多いかどうかである。
その内的世界の中で自分はどれだけ自由を手に入れることができるか。
考えれば考えるほど頭が沸騰しそうな本であった。
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