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書評004冊『フロレンス・ナイティンゲール 看護覚え書き 本当の看護とそうでない看護』小玉香津子・尾田葉子 

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フロレンス・ナイティンゲールが1859年に書いた‘NOTES ON NURSEING’を小玉香津子氏・尾田葉子氏の両氏が翻訳した本である。副題でもある、本当の看護とそうでない看護、という言葉が表すようにフロレンスの看護に関する事柄を読む者に否応にも考えさせられる一冊となっている。

本の紹介文

看護学生であれば誰しも“看護覚え書き”は読むことになるであろう。

ぼくももれなくその一人であった。

レポートの課題でなにか書いた記憶がある程度であった。

家に読まないけど捨てられずに置いてある本は誰しもあるはず。

ぼくにとってこの本はまさに積ん読本であった。

では、さっそくこの本を見ていきたい。

本書ではナイチンゲールはこの書は看護師に特化した本ではない、と宣言していることだった。

つまりは、他者の健康について責任を負う人はみんな看護師である、と述べている。子育てや介護、風邪をひいた家族を看病するひともナイチンゲールにとってはみな看護師であるということである。

“看護覚え書き”は、みんなが読むべき本であると。

この本ではとくに2点強く主張しているものがある。

1つは“換気”についてである。

ナイチンゲールは“換気”についての重要性について本の内容の多くの割合を占めている。

そもそも“換気”とはナイチンゲールが掲げる看護ができる要素のひとつであると述べている。当時18世紀のイギリスでは上下水道の発達も未熟であり、排水も現在ほど整っていなく、コレラなどの病気で多く人びとが亡くなったことも挙げられる。

2つ目は“観察”についてである。

ナイチンゲールは本書の中で良い看護師、良くない看護師について言及している。その文章のなかでとりわけ“観察”という言葉をつかって説明をしている。本書には“観察”についての理論は詳細には述べられていないが、患者の食事の摂取量であったり、ベッドの清潔さ、患者の部屋のカーテンがなびかないように注意するなどが書かれている。

どんなに献身的に患者を寄り添うことをしようとも患者を観察できる知恵がなければそれはその人にとっては天職ではない、とも断定している。

ぼくはこの本を読みながらナイチンゲールの言う“良い看護師”になるにはどうすればいいか、考えながら読んだ。

あなたは“よい看護師”であろうか“よくない看護師”であろうか。

その答えのヒントはこの本にちりばめられている。

看護覚え書 看護であること看護でないこと / 原タイトル:Notes on Nursing[本/雑誌] (単行本・ムック) / フロレンス・ナイチンゲール/〔著〕 湯槇ます/訳 薄井坦子/訳 小玉香津子/訳 田村眞/訳 小南吉彦/訳

この本でビビッときた文章とそれについてのつぶやき

  • 他者の健康について責任を負わなければならないとして、もしすべての女性がどう看護するかをよく考えれば、彼女の積み重ねられた経験の産物は、どれほど厖大(ぼうだい)でどれほど貴重なものになるだろうか。(p5)

 

  • −すべての病気はその経過のいずれかの時点においては概して回復作用であり、必ずしも苦しみを伴わない。それは、何週間、何ヶ月、時によっては何年も前に起きていながら気づかれないでいた病毒あるいは衰弱の作用を修復しようとする自然の努力であり、その病気の終結は、それまでの作用が進行していたそのころにすでに決められていた。(p8)

 

  • 看護が意味すべきことは、新鮮な空気、光、暖かさ、清潔さ、静かさの適切な活用、食物の適切な選択と供給−そのすべてを患者の生命力を少しも犠牲にすることなく行なうことである。(p9)

 

  • 看護婦の第一の目的は患者が吸う空気を屋外の空気と同じに清浄に保つことでなければならないという原則を定めるにあたっては、部屋のなかで悪臭を出し得るものは、患者は別として、そのすべてが患者が呼吸する空気に蒸気を発散している、ということを忘れてはならない。(p25)

 

  • 家屋の健康を確保するにあたって、次の五つが重要である。1、清浄な空気2、清浄な水3、よく流れる排水4、清潔5、光(p29)

 

  • 真の看護は、感染はそれを予防すること以外は顧みない。真の看護婦が問いかけ、あるいは必要としている唯一の防御策は、清潔さ、開け放たれた窓からの新鮮な空気、そして患者への絶え間ない気遣いである。(p41)
  • “治せないものは我慢しなければならない”とは、看護婦にとってこれまでにつくられた最も悪く最も危険な格言である。看護婦のなかでは、忍耐と諦めとは不注意あるいは無関心と同じ言葉であり、それをもし彼女自身に関して言うのであれば卑しむべきことであり、もし彼女の患者に関して言うのであれば責められるべきことである。(p118)

 

  • “希望や助言を気楽に言う”とはおかしな見出しに見えるかもしれない。しかし、私は実際、病人が耐え忍ばねばならないものとして、彼らの友人たちが言うどうしようもない安易な希望ほど苦痛なものはほかにないと思う。(p124)

 

  • 病人が“赤ちゃん”を見ることはその精神状態全体を生き生きさせる。(p133)

 

  • 看護婦に与えることのできる最も重要な実際的な知恵、それは、何を観察したらよいか−どのように観察したらよいか−どのような症状が状態の改善を示すものか−その反対は何か−どんな症状が重要か−どんな症状が重要ではないか−どのようなことが怠慢を示す証拠か−それはどんな種類の怠慢か−を教えることである。(p135)

 

  • 素早い確かな観察という習慣が身についていればそれだけで私たちが役に立つ看護婦になれるというのではないけれど、それがなければ、どんなに献身的であっても私たちは役に立たないと言ってもよいだろう。(p144)

 

  • しかしあなたがどんな方法でも観察の習慣を身につけることができないとなれば、あなたは看護婦であることをやめてしまったほうがよい。なぜならば、あなたがどんなに親切で熱意があろうとも、看護はあなたの天職ではない。(p144)

 

  • 確かな観察がいかに重要であるかについて考えるとき、観察がなんのためであるかを見失ってはならない。それは種々雑多な情報や興味をひく事実をかき集めるためではなく、生命を救い、健康と安楽とを増すためである。(p159)

 

  • 看護婦はすべて信頼される人でなければならない、言い換えれば、“信用のある”看護婦であらねばならないと覚えておくべきである。看護婦はいつなんどきそういう状況に身を置くことになるかわからないのだ。看護婦はうわさ好きやくだらないおしゃべり屋であってはならないのだ。自分の患者についての質問には、それを尋ねる権利のある人以外には答えてはならない。言うまでもないことだが、あくまで冷静で正直でなければならない。しかし、それ以上に、信仰に篤く献身的な女性でなければならない。自分の職業を尊重しなければならない。なぜならば、神の貴い贈り物である生命がしばしば文字どおり彼女の手に委ねられているからである。彼女は正確かつ綿密で、さらに機敏に観察できる人でなければならない。そして、敏感で慎み深い感情の女性でなければならない。(p160)

今日からできる小さなステップ

とにもかくにも観察しよう。すべての事柄は目の前の患者におきているのだから。

1行まとめ

人の健康を想い、考え、実行する者は、みなナースである。

看護覚え書 看護であること看護でないこと / 原タイトル:Notes on Nursing[本/雑誌] (単行本・ムック) / フロレンス・ナイチンゲール/〔著〕 湯槇ます/訳 薄井坦子/訳 小玉香津子/訳 田村眞/訳 小南吉彦/訳

 

ABOUT ME
パパdeナース@オペ室
2013年入職よりずっとオペ室で看護師してます。メンズナースです。男の子の親でもあります。主に仕事や育児についての読書ブログ書いてます。
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