ある日、母がALSになった。突然の母の病気により家族が取り巻く環境は激変していく。海外で生活を送っていた氏は夫を残し、子供をつれて実家に帰省。氏の妹は仕事を退職し母の介護。父は妻の病気について納得できずやり場のない怒りや焦燥感を抱く。 ALSがまだ全国的に認知度が低く、制度も整っていなかった頃のとある家族がALSに立ち向かう壮絶な数年間を捉えた物語。
本の紹介
ALS(筋萎縮性側索硬化症)[指定難病2]とは
ー手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくっていく病気です。しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)だけが障害をうけます。その結果、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていきます。その一方で、体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通です。
『難病情報センター』
自分がALSになったらその現実に向け合うことができるだろうか。
日に日に衰えていく体に心は順応できるのであろうか。
体が動かなくなり、声がでなくなり、ご飯が食べられなくなり、しまいには息ができなくなっていく。
これが生き地獄として他になにがあるのだろう。
気立ての良かった母が発病することによって娘たちに極度の依存症になっていく様をみるとおぞましい。
そりゃそうだ、体が動けなく、声も出さないのに意識はしっかりしているのならどうしても横柄な態度に出てしまうだろう。
自分にこの病気が発病したらと考えるだけでとてもつらい。
氏の母のケアは在宅で行われた。
人工呼吸器や胃ろうなどとても家族だけでは支えきれないため、医療資源も活用された。
しかし、それでもやはり家族・身内の力はとても必要とされた。
母に寄り添う姉妹のまさに人生をかけたケアが本文に随所にちりばめられている。
また、人工呼吸器をつけるときの葛藤かや安楽死についても考えさせられるものとなっている。
もし、自分の親がALSを発病したときに自分は仕事をやめてまでケアに専念できるだろうか。
そもそも家族ってなんだろう?
家族はどこまで支えるべきなのだろうか、どこまで支えてもらうべきなのだろうか。
支え合わなければならないという義務は決してない。
ただ、助け合うのは最終的に家族でしかなのか。
これはALSを通しての家族の物語である。
家族の結束は強くに越したことはないが、では強いというどういうことなのか。
この物語を家族の結束は強固なものになったという美談という読み方をするのが良いのか、それともただの悲劇として見るのか。
読めば読むほど家族のあり方がわからなくなってしまった。
しかし、これも一つの家族のあり方であり、正解はない。
自分にとって家族の最終目標とは。
僕にとっての目標とはシンプルに『仲良く、笑って過ごすこと』
そんなきれいごとなんて、という自分の気持ちも抑えつつ、
あえてきれいごととして生きていきたい、と切に思うのである。
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