心理学の博士号を持つ臨床心理士の東畑氏が沖縄の精神科デイケアで働いた日々を痛快に軽快につづる。氏の仕事は、デイケアで麦茶を作ること。日々の仕事のほとんどが雑務でカウンセリングなんてこれっぽっちもしない。ただ、そこに“いる”ことが求められる。ケアとセラピーについての究極の入門書である。
本の紹介
この本はなんの本なのであろう。
サラリーマン臨床心理士によるお仕事小説という見方もできるし
”いる”とは何かという存在論について考える哲学書のような側面もある。
振り幅が大きい不思議な本。
“ただ、いる、だけ”という仕事についての本である。
ただいるだけ、の仕事は一見楽そうにみえるが結構辛いらしい。
やることがないというのはそれはそれでなかなかしんどいだろうな、と思う。
この本にでてくる沖縄の精神科デイケアは利用者の交流を主としている。
デイケアとは
福祉・医療関係施設が提供するサービスの一種で、医療保険・介護保険による「通所リハビリテーション」と医療保険による精神科デイケア、認知症デイケアがある。対象者は高齢者や精神疾患患者で、利用者同士が交流するということが特徴としてあげられる。
つまりは、あえて“ただ、いる、だけ”が大事なのである。
利用者にとってそのデイケアに“いる”ことができるという状態がとても大切なのである。
なにもしなくてもいるだけで認められる場所、それは自宅なんかがそうであろう。
利用者にとってデイケアという存在が自宅同様の場所であるためにはスタッフにも、ただいること、が求められるのである。
本書を読むにつれて氏の仕事とプライベートという概念が溶けていきその境界がなくっていく感覚を覚えた。
これはとても本質的であると思う。
相手の心を開いてもらうにはまず自分が無防備に自分をさらけ出すことが必要なのではないか。
相手が自分のことをひまそうなやつだ、と思わせることも大切である。
だから、麦茶を作り続けること、雑談をすること、バレーボールをすることに意味があるのである。
利用者と和気あいあいとふれあう氏の関わりは本当に素晴らしい。
そこに“いる”ことの価値を見出している。
施設に来ることができること、まず利用者にとって居心地のいい場所であることを作ることが何よりも大事であることをこの本書から学んだ。
治療や教育など二の次なのである。
氏はケアを退屈な日常であると捉えている。
しかし、その日常のなんでもない行為がみんながその場にいることを認め、手助けをすることにより暮らしを支えているのであると伝えるのである。
この本は、読む人全員に“生きることはいることでいいんだよ”
と伝えてくれる『幸福論』的な本であると感じた。
つくづく不思議な本である。
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