社会歴史学者、政治経済学者であるヒュー・スモール氏がナイチンゲールの数多くの手紙を解読することで判明した真実が明かされる。改訂版である本書では新たに2通の手紙がみつかったことでよりナイチンゲールの内面を知ることとなる。
本の紹介文
こんにちは、パパdeナースです。
この本はナイチンゲールが書かれた手紙を元に今まで知られなかった彼女の本当の事実を解明する書となっている。
クリミア戦争でのナイチンゲールの活動が実は兵士の死亡率をなお悪化させたと知ったらあなたはどう思うだろうか。
これは疑いもない事実である。驚愕である。
ぼくは浅学ながらも今までナイチンゲールの本を何冊が読んではいたが、ナイチンゲールのクリミアでの評価はまったく持って真逆のものであった。
本書には、実際にクリミア戦争が行なわれたイギリス軍のいつくかの宿営地や病院とナイチンゲールが働いたスクタリの病院とを比較すると死亡率が彼女の病院の方が明らかに高かったのである。
このことはクリミア戦争が終わった後に衛生学者のファー氏の分析によって発覚した事実である。
原因は建物に蔓延した悪臭や汚物、空気によるものであった。
クリミア戦争で時の人となったナイチンゲールがこの事実を知ることでどのような気持ちであったかは計り知れない。
クリミア戦争後ナイチンゲールは、ほぼ隠遁生活をしごく限られた人たち以外は面会を謝絶したのである。
何冊かナイチンゲールの本を読んだが、国の英雄がこのような隠遁生活をしている理由がこの事実でやっと腑に落ちた気がした。
ナイチンゲールはこの過ちを元に公衆衛生について多くの本や研究に精を出した。
これが彼女のライフワーク、使命になったのではないか。
そのひとつの『看護覚え書き』はまさに‘換気’について多くのページを割いている。これは決して看護婦のための本ではないのである。
ナイチンゲールの葛藤が書かれている手紙の多くはかの自身が捨てたため、捨てそびれた中の残った2通から今回の事実が判明したのである。
ただただ悲痛である。
兵士たちへの慈しみだけでは救えない、必要なのは確かな知識である。
そのことを改めて教えてくれたかけがえのない本である。
この本でビビッときた文章とそれについてのつぶやき
・彼女のもっとも偉大な業績が今わかってきた。それは、各家庭の下水、給水、換気の改善を命ずる法律を制定するよう運動し、成功を納めたことだった。それによって、一般の人びとの寿命が大幅に延びたのだ。これは彼女がこれまで関わってきたとされる病院改革によって達成されたものをはるかに凌ぐ進歩だった。病院から関心を移すことでナイチンゲールは近代史におけるもっとも大きな社会改革のひとつにおいて、指導的役割を果たしたのだった。(p7)
→現代では、ナイチンゲールと聞いて公衆衛生についての功績者であると思い浮かぶものは日本ではとくに少ない。
・彼女の学識は高く、当代一流の男性たちを相手にしても対等に会話ができたからだ。ピアノを弾く舞踏曲カドリールの下手さかげんには定評があったこと、また、優雅ではあったがあまり美人ではなかったことがますます男性たちの尊敬を深めたようだ。(p13)
→いままで何冊かナイチンゲールの本を読んだが、‘あまり美人ではなかった’と言及するものはなかったためあたらしい発見である。
・スクタリでの大惨事の原因は、換気の不足、排水の不備、不潔さ(あまりに不愉快でこれ以上詳しく申し上げることはできません)、入院生活を楽にする品々の不足、驚くほどの過密状態であると迷うことなく申し上げます。(p122)
→ナイチンゲールがヴィクトリア女王に送った手紙の一部。
・ファーの計算から、病院ごとに死亡率に大きな差があるのがわかった。その結果、ナイチンゲールはそれぞれの病院の優劣についての評価の見直しをすることになった。たとえば、1856年6月に、クリミアのバラクラヴァの病院は最悪だと書いたが、今ではそれがスクタリにあるどちらの病院よりもはるかによい記録をもっていることがわかった。また、サザランド博士の衛生委員団が病院を浄化しはじめてから全般的な死亡率の低下が突然起こっている。この大きな変動はファーとナイチンゲールに、病気による死のほとんどすべて−16,000人以上−が病院そのものの衛生状態を改善することで避けることができたと納得させるのに充分だった。(p125)
→これはとても驚きである。ナイチンゲールの行動が逆に死者を増やすことに加担してしまったという事実である。
・ナイチンゲールはどうしてそんなに多くの若者が死んだのか、国に知ってもらいたかった。彼らが、想像できうるかぎりのもっとも完璧な実験のひとつにおけるモルモットであったことを国に知ってもらいたかった。その実験による結果は、ファーやチャドウィックをはじめとする、のちに「衛生改革派」として知られることになる人びとの主張が正しかったことを証明していた。戦争初期にあらゆる地位階級の兵士が死んだのは、建物の清潔さに欠陥があったのが原因だった。陸軍大臣パンミュアに宛てた彼女の極秘報告書はほぼ完成に近づいており、スクタリでの恐ろしい実験の結果を分析していた。彼女はシドニー・ハーバートにこの報告書を王立委員会へ提出する自分の証言書として認めてもらいたかったし、委員会のおおやけの報告書として全文を印刷してもらいたかった。(p148)
→クリミア戦争の英雄と称えられ帰国するも、事後の結果から自分がしたことが現場を悪化させた事実を受け入れることはとても辛かったはずだ。
・ナイチンゲールにとって、職業としての病院看護が存続するかどうかはまったくどうでもよかったようだ。スクタリでの経験から、看護の向上など的はずれだと思いこんでいた。女性が看護の仕事に就くことを促進するなどということは彼女にとっては問題を筋違いの面から取り上げたすりかえだった。その後まもなく書かれた、彼女のもっとも先鋭な著作である、有名な『看護覚え書』は、実際のところ反医師、反病院、反病院看護の宣伝だった。(p154)
・それなら、この本はいったい何のためのものなのだろうか。その答え、「他人の健康の管理を任されている女性のための思索のヒント」というのには戸惑ってしまう。看護婦でないとするなら、そのような女性とは誰のことだろうか。答えは、普通の女性、である。「イギリスの普通の女性には、人生のいずれかにおいて、誰かの個人的健康を任されることがある」
→『看護覚え書き』は大学のときに強制的に読まされたが、彼女の本意とはまったく異なる本であることがよくわかる。
・そのような断片のひとつが1857年5月にマクニールに宛てた手紙である。そこでは彼女は、ヴィクトリア女王に、自分の病院の衛生状態の悪さのせいで兵士を死なせてしまったと申し上げた、と書いている。あきらかに新しい発見である。このマクニールに宛てた手紙本体は残っていない。彼から手紙を取り戻していくつかを破棄したにちがいない。しかし、姉がこれを筆写しており、それが残っている。(p231)
→このときのナイチンゲールの姉の心境が知りたい。
・人は過ちを犯したとき、どうするだろうか。この物語は、過ちを犯したひとりの若い女性と、彼女がその後どのように責任をとったかをかたったものだ。(p262)
→著者ヒュー・スモールはその謎を解明するために、ナイチンゲールの手紙、それも鍵になる2通の手紙を軸として推理を展開させている。
・彼女は兵士たちの死は軍と政府の不作為のためと考えて極秘報告書を書きはじめたのだが、統計学者で衛生学者であったウィリアム・ファーの指導のもとで問題の分析を重ねるうちに、「不作為の罪」でもっとも告発されるべきは自分である、との結論に達したのだ、と著者は言う。(p264)
・また、著者が念入りに検証しているように、自分の出した手紙類を整理・保管もしくは破棄するのに心を砕いている。その執念はシドニー・ハーバートの死後、その屋敷にまで手紙を取り戻しにいくところによくあらわれている。スモールが推理の鍵としたのは、その中で彼女が破棄しそびれた2通である。(p265)
・ナイチンゲールが成し遂げた衛生改革。トイレなどの排水・下水や換気の話で、一見とても地味に思える。しかし、この改革によって飛躍的に寿命が延びたという。
・日本でも今のような衛生環境は当たり前のことのように思っている人がほとんどだろうが、昨今多くなった台風・洪水・地震などの災害時には必ず衛生問題は浮上する。当然と思っていた衛生設備が使えなくなると必ず健康被害が出てくる。ナイチンゲールが衛生改革の陰の功労者であるならば、もっと広く認識されねばならない。(p268)
今日からできる小さなステップ
常に情報の裏に何が隠されているかを疑う
1行まとめ
人は綺麗なままでは生きられない。生々しいナイチンゲールの内情が本書に映し出されている。