生まれつき脳性麻痺である氏が体の動き(リハビリや日々の生活の経験)を通して、モノ、人、社会とのつながりを考える。モノ、人、社会に完全に適応できない私たち人間は故にその不自由さを補うため言葉やイメージを高めていく。そうすることで自由さを少しではあるが手に入れていく。しかしどんなにもがいてもモノ、人、社会との隙間を埋めることができない。そのもどかしさが人間を人間とたらしめているものであると思わせる本書となっている。
本の紹介
最初にちょっとだけ脳性まひの定義について説明していきます。
脳性麻痺の定義
10代から生後4週以内の新生児までの間に生じた脳の非進行性病変に基づく永続的なしかし変化しうる運動及び姿勢の異常である。その症状は満2歳までに発現する。
つまりは「脳の損傷が原因で、イメージに沿った運動を繰り出すことができない状態」ということであるそうです。
氏がトレーニングされたリハビリの壮絶な訓練の体験記を通して考察していきたいと思います。
従来の「規範的な身体の動かし方(リハビリ)」に抗いながらもそこから新たに作られる身体の動き、官能という感覚について書かれています。
とても印象的だったのはつながり(モノ、人、社会)についての意見です。
解放と凍結の反復が他者へと開かれたときに、そこに初めて新しいつながりと、私にとっての世界の意味が立ち現れる。そして、他者とのつながり解け、ていねいに結びなおし、またほどけ、という反復を積み重ねることに、関係はより細かく分節化され深まっていく。それを私は発達と呼びたい。
つながれないからつながろうとする。
自分と他者や物体との埋められない隙間があることによる不自由さ(もどかしさ)があることにより私たちはその隙間を埋めようとする。その行為によって人は自由になるのではないのでしょうか。
この本は、単なる脳性マヒを抱える氏の体験談だけでなく、そのリハビリにおける自己の身体との向き合い方や他者など会話を通じて人間のあり方を問い直す本なのではないかと思うのです。
とくに「便意という他者」という章での氏が身体と向き合う場面(便意との交渉)がとにかくおもしろかったです。
慇懃無礼に私に「よお」と声をかけてくる。
便意あるあるがもしあるとしたら。(そんなものがあるかどうか知りませんが)